赤花山法師 12.05.24



毎日夏日が続いていますが、体調壊さないようにしないと。
昨年植えた山法師の赤花(サトミ)が見ごろになって 薄いピンクがさわやかな気分にしてくれます。
常緑山法師は6月中頃にならないと見ごろにならないようです。
見ごろに写真をアップします。



毎日夏日が続いていますが、体調壊さないようにしないと。
昨年植えた山法師の赤花(サトミ)が見ごろになって 薄いピンクがさわやかな気分にしてくれます。
常緑山法師は6月中頃にならないと見ごろにならないようです。
見ごろに写真をアップします。
本日の金環日食はご覧になりましたか?
観測眼鏡がないのでサングラスで目を細めて 見ましたが、
金環は、はっきり確認しました。
子供のころ(たぶん中学生ぐらい)に皆既日食があり
ガラスにろうそくの煤を付けて見たことを思いだした。
その瞬間は薄暗くなんとも異様な雰囲気だった記憶がある。
金環日食は少し暗くなって神秘的だった。
テレビの生中継も横目で見ながら。各社の放送の画像
NHK皆既日食の瞬間

関西テレビ

毎日テレビ

読売テレビ

連休が済んで寒暖の差が大きく 今日は夏日で蒸し暑いですね。
庭の木々の花が咲いてきました。
若葉のソヨゴ

ソヨゴの花が咲きました、小さい小さいはなです。 秋には赤い実が野鳥をむかえてくれるでしょう。

赤花山法師(サクラ)

常緑山法師のつぼみ、6月には白い花が咲きます。


一昨日5月5日は子供の日で端午の節句。
町にはこいのぼりはあまり見かけませんが
親の墓参り大和郡山に行くと屋敷が広いせいか 沢山こいのぼりを見かけた。
5日の夜は菖蒲湯につかり、家族の健康を願った。

当社も1日~6日までお休みを頂いています。
毎月お参りの生駒宝山寺に行ってきました。
八重桜が落下さかんで風に舞っていました。
山は新緑、淡い緑で、うぐいすが鳴いていて
とっても新鮮な気分になりました。
自然の景色は心穏やかにしてくれて少しリフレッシュできた気分。

ここ2、3日は夏日が続いていますが、 体調を壊さないように注意しないと。
休みで出かける途中近くの家の大きな花みずきが 満開、一枚写真に。
最近庭に街路樹によく見かけますが 若葉の季節にピッタリの花ですね。
今から蒸し暑いと今年の夏は猛暑にならないでほしいですね。
日本の原発が再稼働するのは難しいだろうし、
安全に問題のある原発の 再稼働はしてほしくないし節電の夏になるが、
国民一人一人我慢して 頑張らないといけないね。
当社でも大阪ガスのエコウイルと太陽光を標準装備した
アンソレイエ俵口を分譲中です。
モデルハウスも完成していますのでお立ち寄り下さい。
今日は一気に春の気温になり暑いぐらいですね。
昼から奈良県庁に
『住宅建設瑕疵担保保証金の供託 及び住宅建設瑕疵担保責任保険契約の締結状況についての届出書』
を 提出に行ってきました。

その後すぐそばの氷室神社によってしだれ桜を見てきました。
奈良一番桜、樹齢100年。 観光客で結構にぎわっていました。





一昨日は春の嵐が日本中を駆け巡り、各地で被害のニュース。
被害にあわれた皆さんにお見舞いを申し上げます。
東大阪市東体育館の桜が満開近しの感じでした。
この週末は大阪では花見でにぎわいますね。
暗い話が多い中パット桜に合わせて明るい話材で
景気が良くなることを願いたいですね。
野田総理・消費税値上げで景気良くなりますかね?
やっと春めいてきましたが、今日は雨の土曜日。 出勤途中東大阪市東体育館の桜がほころびかけていたので 一枚写真を撮ってきました。 例年ならもう満開に近いのですがやっと開花ですね。 昨日ツバメも見かけいよいよ春、心ウキウキする季節、 一方消費税増税のニースが連日伝えられているが、政治改革、公務員 行政改革が先の気持ちで納得できない方も多いと思います。 早く景気が回復することを願って花見に出ませんか。
寒の戻りで寒い日が続いています。
春が足ぶみして梅もやっと満開の便りが届いています。
先日ヤフーのニュースで南極観測船「しらせ」かじ損傷、船内越冬、 救援を一時検討の記事。
『厚い氷に阻まれ18年ぶりに同基地への接岸を断念、
日本への帰還途中に定着氷の中で障害物にぶつかり 、
かじを損傷していたことが17日、分かった。
6メートルを超える厚い氷に阻まれ前後進を繰り返し厚い氷を割る航行で 後進した際、
障害物に衝突し右側のかじがきかなくなった。
右側かじを固定無事オーストラリアに寄港した。』
この記事を見て南極観測関係を検索そこで運命の船「宗谷」と南極越冬隊の奇跡 を見つけ、
読むうちに胸に厚いものがこみあげ目頭ウルウル(歳のせいかな)
最後に作成者書簡が書かれていて日本を支えた企業と人々の心意気と 熱意、
今の日本の人々に。
作成者書簡 『戦後復興途上の日本企業が一体となって 、
永田隊長と西堀副隊長を中心とした南極観測隊を支えた。
敗戦後10年と言う時代背景の中での、
稀有な事例だった。1年後はできなかった南極接岸が、
最初はうまく成功した好運と、西堀越冬隊長のカリスマ性が 、
観測の成功を支えたと思う。
それにしても、 日本人の誇りと総力を結集した大プロジェクトだった。』